デザインについて考え続けた1年〜卒業研究を終えてみて

 

常葉大学 造形学部 卒業制作展が終了。

 

これをもって私の大学生活は終わり、このブログも大学生として書くのは最後になりそうだ。何でも“最後”と付くと、物寂しさがある。

 

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Twitterかどこかで「自分の学びを世に公開する、美大の卒業制作展という文化はすごい」的な内容の投稿を見かけた。

 

学びを世に公開する上に、それを見に来てくれる誰かがいるというのは、とても贅沢な機会だな、と改めて感じる。


「ただ公開するだけじゃなくて、そこで来場者と何を議論したのかが重要」と4年間通して先生に教わった。

学びを公開して、議論して、自分の中で消化させて、次の行動を起こすのが、ある意味礼儀でもあるなと思い、こうして画面に文字を打つ。


ということで、今回は1年かけたプロジェクトとも言える「卒業研究/制作:Design me」について綴る。

 

まずはじめに、この1年間、私の卒業研究にご協力頂いた全ての方々に感謝申し上げます。
また、大がかりな展示準備を手伝ってくれた造形学部の皆さん、本当にありがとう。

そしてアクセスの悪い瀬名キャンパスまで足を運んで下さった来場者の皆様、ありがとうございました。

 

目次

  1. この研究を始めたきっかけ

  2. 研究/制作の内容

  3. 研究/制作をしてみて

  4. 展示をしてみて

  5. これからについて

 

 

1.この研究を始めたきっかけ

 

今回私は、「Desingme」というプロジェクト名のもと、卒業制作をすすめた。
「ノンデザイナーのデザインプロセスを解明する」という主旨の卒業研究及び制作である。

 

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この研究を進めようと思ったのは、来年からデザイナーとして、異分野の人たちと共創(デザイン行為を)していく機会が多々あるんだろうな、と漠然と考えていたことがきっかけだった。


デザイン行為に抵抗があったり、馴染みのない人たちと、どうやったら一緒に楽しく未来を考えていけるのだろうか、と考えた時に、ふと「デザインって何もデザイナーのものだけではないのでは?」という「そもそも論」が浮かんだ。デザインはみんながすることだという前提について考えてみたくなったのだ。
私の中で「デザイン行為」とは「評価と改良を繰り返して、人々や社会にとって新しい価値を探求し続けること」だと定義づけている。


デザイン行為を上記のように捉えると、人々の生活の中に、沢山の「デザイン行為」が散らばっているように思える。身近な例として「私らしさ」というのは、誰もがデザインしている対象ではないだろうか?以前、デザイン学会かどこかで「デザインは営みそのもの」という言葉を耳にした。その時は今一歩腑に落ちなかったのだが、少しずつ分かり始めているようないないような....?

 

そこで、卒業研究では「私らしさをどうデザインしているか?という文脈から、ノンデザイナーのデザインプロセスを解明する」という研究を行った。

 

2. 研究/制作の内容

 

私は造形学部という学部に所属しているので、名目上は卒業制作である。よって、制作物としては冊子と映像を制作した。

卒業制作展では個室を借りて、冊子の展示及び映像の上映を行なった。

 

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今回は自分らしく生きる4名の方に計2時間程のインタビューを行い、「私らしさ」と「デザインプロセス/ルール」についてエディトリアル・インフォグラフィックスで解明した。うち1名の方はエスノグラフィを行なって、映像での解明を試みた。

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3.研究/制作をしてみて

今回取り上げた4名以外にも、複数名にインタビューをしていたのだが、総じて言えることは、意識・無意識にかかわらず、みんな評価と改良を繰り返して、新しい価値を探求し続けている、ということだ。ここでいう「新しい価値」というのは「より自分らしい姿、キャリア、生き方」である。これを世間一般ではセルフブランディングや人生設計、キャリア設計、と呼んでいるが、行為として捉えてみると、皆普段からよくデザインしている、と言える。

そして、人が違えばデザインのプロセスもルールも異なるということも、よく分かった。(このあたりについては、インフォグラフィックスで表現した。)

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4.展示をしてみて

 

来場者からは

「デザインという言葉の捉え方が変わった。」

「デザインはデザイナーだけのものじゃないという考えにとても共感できるし、私もそういうことを研究しています。」

「そうそう、デザイン分かんない〜って皆言うけど、普段からやってるんだよね。気づかされました。」

「デザインという言葉を使わずとも、この映像を見たら「ああ、この人ってデザインされてるなぁ」って思えた。」

「デザインが、日常の行為に置き換えられるんだな〜と実感できた。」

「この考え方が、これからのデザイン業務に生かされていきそうだね。」

 

等々、前向きな意見を沢山頂いた。

 

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一方で

「あなたは何を作り出したのか?」

「リサーチして、作るまでがデザインでしょ?」

「あなたが何をデザインしたのか、わかりにくい。」

という意見もあった。もっともな話である。

「どんな価値を創造したのか?」と言われると何も言えないのが現状である。

 

「どんな価値を発見したのか?」と言われたら「デザインは営みそのものであり、デザイナーのものだけではなく、皆が持ち合わせている力」と自信を持って言える研究ではあったと思う。

 

5.これからについて

1年間の研究としてやり残したことはまだまだ沢山ある。デザインについてもっと沢山の知見を持つ・調べる・学習する、もっと沢山の人のデザインルールを集めてみる、頭でばかり考えずに実践としてワークショップや人を巻き込んだことをやってみる等々....。

 

冒頭で話した「色んな人と共創していく」というのが、「私が現場に飛び込んで、一緒に考える、新しい価値を創造することである」ならば、今回の卒業研究はその点で大きく欠けていた。一歩引いた目で現場を捉える、見つめる、向き合う力も大切だが、見ているだけでは何も始まらなかった。私は飛び込むのが苦手なので、飛び込める人にとても憧れているし、早く私もそうなりたいと思う。

 

それでも、私の研究テーマに共感してくれる同級生や他大学のゼミ生の声に勇気付けられて、素敵な仲間に恵まれていることを、一年の研究を終えてしみじみと感じている。みんないつもありがとう。これからもよろしくね。

 

5月のデザイン学会に向けて、この卒業研究を含めた大学4年間の活動・実践をまとめようと考えている。どのような形でまとめるかはまだ定かではないが、これからも学びと実践を繰り返していきたい。

 

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!安武ゼミのみんな一年間お疲れさまでした!